週刊デイリー月報

ツイッター複数アカウントにも飽きたらず (@gogatsubyyyo)

全方位青い芝包囲網すぎて色々見失う、新しい仕事観

「~た話」みたいなタイトルで1話丸っとツイートして宣伝するやつ、普通に羨ましい気がして私もやりたいがあれは担当さんのご意向なのか許可得てやってるのかどういったあれなのかわからなかったのだけど、
批判されてるとは思ってもみなくてむしろ普通に読んでしまっては嫉妬に気が狂いそうになってばかりいて批判されてると知りあぶねーーわざわざ批判される事に首突っ込むとこだったと胸を撫で下ろしている……
何故こんなにもわざわざ批判される事に引き寄せられるというか何故こうもいちいち世間の感覚がわからないのか…………


しぬるほどやる気が枯渇している、人生最大級の未曾有の枯渇っぷりを見せている
訳有っていにしえのネームコピーしようとしてもそれだけの事すらできない、ネーム直しもネームもできてないです……

3週間位何もできてないけどまあ永久に同じ状態が続く事は良くも悪くも無いので、いずれ復活した際には仕事頑張りたい……
メールすら送れてないア~~



私がそういう情報だけ掬ってるのかもしれないが、昨今仕事の仕方というか、自分の強みや長所=「自分にとっては何ら苦にならない、他の人にはできない事」とする文章をよく読む気がする
良い傾向だと思うし、デジタル移行できてない事を筆頭にことごとく時代に取り残されてる中唯一この価値観だけには乗り遅れずについていきたい乗っかりたいそうありたいと心底思う

わざわざやりたくない事に囲まれる

ツイッターにさもやってみたい事のようにpixiv箱の新プラン案をツイートした後、良い案を思い付いて表明できた筈なのに、(まあずっとそうなんだけど)全然気持ちが晴れなくて、何か引っ掛かってて苦しくて、というかまあなんか、何でこういつもいつも自分の身をていして、自分を傷付ける方法しか選べないんだろうと思って苦しくて、何でこんなに苦しいのかと思ったら「本当はやりたくない」んだ、と気付いて、ツイートを削除した(ツイートご覧下さりマシュマロお送り下さった方々ありがとうございます申し訳ございませんでした)


何で私が本当はやりたくない事をやろうとしたり、進んでやったりするのか、それは下記のようなセルフ呪いによるもので、

・漫画家という肩書きの維持
・「コンスタントに稼いでいないとやばい」
・何もしてない=悪
・社会的価値=自分の真の価値で自分が認める自分の価値である
・働いてないと生きる価値無い

等々……


で、その根底にあるのって「罪悪感」なのだと思う
何に対するものかというと恐らく「両親」あと「自分」

自分で自分の事をとにかく許せなくて、許されよう許されようとして上記のような呪いを達成できたら許されるような気がしていて、でもそんな成果と許せない事は実は関係無くて何したって許せなくて、本来自由である人生を毎秒毎秒自分でころして、日々苦痛で楽しくなくて、気付いたらやりたくない事に囲まれてて、
しかもおそらく「苦痛」をわざと自分に与えている、罪悪感から


この前読んだ本にあった、
『罪悪感ほど自分を傷付ける感情は無いかもしれない』、
『罪悪感は常に自分を傷付け罰する状況を作り出す』
って、これか~~ていう感じ


という感じで毎日苦しくて数週間まじで連日でうなされて呻くか叫びながら起きてるんだけど、自分が自分を許せない限り、こんだけわかってようともこの状況は打開できないし、セルフ呪いは解けない



あ~~自分で自分さえ許せたらなあ、罪悪感さえ断ち切れたらなあと思う

「それでいい。」、「明朗・快活」

「それでいい。」(細川貂々水島広子)(創元社)が今日届いて読んで、とても読みやすくて、わかりやすくて良かった

こちらも、先日自己肯定感が過去最低を叩き出し自己肯定感に関する本ばかり6000円分買った中の1冊で、
到着が他の本より遅く、今日届いて読んだ

最近その他の本を読んでいた訳だけどどうもしっくり来ず、
というかなんかうまくいかずにイライラしてきて、途中で読むのをやめてしまうばかりで、
「そもそも自分は自己肯定に向いていない(?)んじゃないか」との思いにまで至っていた


「それでいい。」にも水島広子さんの他の本にも、
今の自分はこれでよいと認める事で、本来持っている力が発揮できる
とよく書かれている

又、今の自分を認める事無しに変化する事はできないとも、

私は自分を認められない状態のまま、
本によって何か魔法のような言葉で、どうにか変わりたいと本を読んでいて、そこには魔法のような言葉は書かれてなくて、変われなくて、イライラしていたのだけど、
今の自分を認める事なしに変化はできないのなら、それは無理もない事だったなあと思った


しかし色々読んでいて結局最終的に言われる答えみたいなものってほぼもう決まってて、
あらゆる形で語られる「それでいいのだ」なんだよなあ……とつくづく感じる



「明朗快活」に~とかいう7ページのエッセイマンガをツイッターとpixivファンボックスにアップした

アップして数時間してから気付いたが、
おそらく、というか確実に「明朗快活」以外の項目には長所としていくつか◯がついてた筈で、
あえてそんなにしても◯の付かない部分を自分に求めていたんだなあと思った

今では明朗快活じゃなくて全然良いので全然良いとしても、
着眼点の癖みたいなものとして、
「持ってるものをないがしろにして、自分に不向きなものを手に入れようと努力して疲弊してしまう」みたいなところは今も有る気がする

あとは、他人からの評価に振り回されすぎるのも、癖として健在してる気がするなあと思った


こんな真面目な感想を述べるのは無粋だけど、思ったのでメモとして

罪悪感

今読んでる本によると、

「あらゆる感情の中で罪悪感ほど自分を傷付けるものはないかもしれません」

「罪悪感は常に自分を罰し傷付ける状況を作り出す」

らしいんだけど、

だとしたら、全身罪悪感で満ち溢れている私の現在そしてこれからは一体……


しかし罪悪感、償いと直接結び付かない上に自分にとって害悪な感情であり挙げ句罪悪感の手放し方については検索してもなかなかこれだ!という良い記事に巡り会わないとかいうこの世の地獄である

そしてもう何年か苦しんでいる

一番は親を悲しませ泣かせた事、
親の思うような人間にならなかった事、
自立してない事、
家事介護から逃げてる事、
自分だけ楽してる事、
そもそも居るだけで申し訳ない事、
他にもたくさん
挙げるときりがない


毎朝、息が苦しくてみぞおちのあたりが嫌~~!!な感じで呻いたり叫んだりしながら起きると書いたけど、罪悪感により自分で自分を罰して苦しめてる説あるのでは……

「幸せになって」すら呪いたらしめる

私も結婚した人とかに「幸せになって」て言うし本当にそう思って言ってるんだけど、(先方がどう受け取ってどういう気持ちになったかはわからないが)


※これは過去に私に「幸せになって」と仰って下さった方への苦言じゃなく、
私の捉え方がおかしくて、呪いたらしめているという話な事は把握しておいて下さいましたら幸いです



幸せになって下さいとか言ってもらえるようになって、
結果私がどうしたかというと、
「それに伴わないと、応えて幸せにならないと、がっかりされる」と必死で気を付けてきて、
幸せになったかというと、ただただめちゃくちゃに疲弊した

私の捉え方がおかしかったのは明らかである

幸せなんて私にはコントロール難しいし、そもそも定義すら曖昧なものだし、自分の幸せまで他人軸による動機で「これであってるのかな?」とか思いながらどうこうしようとしたから、無理が生じたのだと思う

有難くて私には勿体無いようなお言葉を、自分のせいでただの苦しい呪いにしてしまった事を申し訳なく思います


ただ、本当に自分勝手な贅沢を正直に言うと、幸せでも幸せじゃなくても、そのままを認めてほしかったのだろうなと思った



あと、昔から何故かめちゃくちゃしんどい時に「今日元気そうやね!!」と言われたり、最近めっちゃ元気!!と自分で思ってる時に「どうしたん最近何かあった……?皆で心配してたんやけど……」と言われるという現象が多発するのだけど、

ここしばらく心身共に落ち込んでいたら見事に最近調子良さそうですね!!という旨のマシュマロが複数飛来してこの謎体質健在だったかと思った(でもそれに救われたんだけど、ありがとうございます)

呻いて起きる、本、頭で描く

毎日起きる時間がまちまちなのだけど、ほぼ決まって苦しくて呻いたり叫んだりしながら目が覚めてそのまま苦しすぎてやむなく起きる

なんか、貧血の時みたいに息ができない苦しい感じ(貧血は治ってるらしいので貧血じゃない)と、
あと、よくわからない事を言うと、
みぞおちというか胃というかその辺のあたりに嫌な感じが凝固してて嫌~~!!てなってる感じ……

何なんでしょうこれ……ほぼ毎日これで起きる



起きてしばらくは嫌な気持ちでいっぱいなのだけど、ここ数日はとりあえず先日自己肯定感が下がりすぎて6000円分買った本を読んでいる

そしてあるある~となったり私かよ~となってるうちに世界と自分が繋がってくる感じがする
そうしてこの世界ですごせる感じになる



「絵は手で描くのじゃなく頭で描く」みたいな言葉があるけど、(まあ手で描くんだけど、言ってる事はめちゃくちゃわかる)、絵を描く時に頭が機能しなくて悲しい

なんか、色々してきたうちに、脳が萎縮してしまったんじゃないかと本当に思う

昨日何となく自分の商業デビュー作とか読んで、面白くないしトーンの貼り方は汚いけど、当時の方が絵がうまくて悲しくなった

技術が向上してないどころか、省エネしすぎて退化している
描くことを省エネしてきた罰をうけている


ラフなタッチの絵が悪い訳じゃ決して無い

ただ、影を、髪の流れを、物のボリュームを、つやを、緻密に丁寧に描かれた絵の、その熱量が有無を言わさず与える感動を知っている

そしてそれに憧れもある

向上心を持ちつつ、自分が今できる精一杯をやっていくしかないんだろうなと思う

虚無、豊かさ

去年9月にお話頂いて入院中もネームやってた大きめの仕事の企画がひとつ無しというか保留というかになった

担当さんたちが私の事を大変尊重して下さってるご判断だという事がメールの文面から伝わってきたので有り難かった

とはいえここ数ヵ月のがんばりとこの企画のために買ったiPadを無にしてしまった
まあ完全に無になってしまうなんて事は無いんだろうけど

さらに今やってるそことは違う他社案件のネームも、実はまだ掲載が確約されていない

んだけど、
正気か?



かつてはマンガや絵を描く以外の好きなことといえば散歩だったのだけど何故かいつしか苦手になってそれらしいことをすれば気分が悪くなるようになってしまった


近所をフラフラして、トマソン物件を見つけたり、味わいのある光景を目にしたり、
作業持ってフードコートへ行き小中学生の会話に聞き耳をたてツイッターで実況したり、
電車とさらに何十分も歩いてダムや廃墟を見に行ったり
家の近くに有るひたすら真っ直ぐの長い道をひたすら考え事に没頭して歩くのが好きだった


何故20代のころのようにできないんだろうあの頃の余裕が無いんだろうと思っていたけど気付いた、単純に、当時と比べて「余暇」が圧倒的に無いのだ

曜日で休みが決まってないし、自主的に休みを設けてたら間に合わないスケジュール組んでしまってるし、「結果的休み(しんどすぎて結局何も手につかず結果的に休みとなった日)」しか休んでいない


父親が趣味的に英語を勉強していると書いたけど、英語の他にも毎日ギターを弾いていて、仕事以外の事でリフレッシュできるものをもっててえらいなあと思う

母親も主婦業や仕事以外に日本画を描いていて、見たい展覧会があれば日本画教室仲間と東京まで行ったりしていて、楽しそうだし豊かな感じがする


好きなことを仕事にできて、仕事ばかりしていれば豊かな人生なんだと思ってたけど、なんか違うっぽい
なんか、今後はもっと自分の人生を大事にできたら良いなあと思う