週刊デイリー月報

ツイッター複数アカウントにも飽きたらず (@gogatsubyyyo)

27才の日記

を、今日読んだ

デビューから2年位、鳴かず飛ばずネーム通らず、登録制バイトにたまにやっとこさ行く程度で金無し、家族ともうまくいってない
決してうまくいっているとは言えないのだが


めちゃくちゃにもうそれはもうめちゃくちゃに、うらやましかった


どううらやましかったかというと、
まず文章の、思ってる事を寸分たがわず記録しようという熱意と語彙の豊かさ、
その随所に見られる「ザ・若い」みたいなするどい感性、
今では気にもとめないような事にめちゃくちゃ喜んでいる事、
金無い癖に困った人を見つければ募金したり寄付したり口座に振り込んだりしていること、
思考をし続けていること、
今は何故か苦手になってしまった散歩を楽しんでいる、
イデアがちゃんと浮かんでくる、
必死にもがいている、

そして何より、「自分」で居る事、ああこれだよ「自分」ってこうだった、こうじゃなきゃ、みたいなもうザ・自分

そこからいつしかえらい遠くまで迷子になってきてしまったなあと思った

生まれて初めて過去に返りたいと思った

しかし時の流れは不可逆である
不可逆である事は悲しいなと思った

「不可逆である事が悲しい」、「若くて強かった頃に返りたい」って、それって「老い」なんじゃないだろうかと思った



まあ、今の年齢で当時の収入とかやばいし金が無さすぎて年金払えなすぎて「これ以上払わなかったら差し押さえしちゃうかも」みたいな内容の封書とか来てたしお金は必要なんだけど、


身の丈に合わない評価とお金を頂き、
価値観がバグり、老親と仲良くして、私はなんだか今自分で今の自分の居心地が悪いのだという事に気が付いた

こんなの自分じゃない気がする

でもお金は必要だった、私なりの戦略だった、それが功を奏した結果なのに

要するにお金と、他人の評価と、肥大した自意識から、自分の感性を守る事を怠った、守れなかった自分の責任だと思う

今の自分が、心底大嫌いだ

27才よりこっち、物が増えもはや布団が敷けなくなった自室に積み上げられた色んな物の山がそのまま心象風景のようだ

色んな物が付属してしまった事が悲しい、でもお金を稼ぐにはこれしかなかったし今その貯金で生きている

生きる事は悲しいし、年を取るのは惨めだし不自由だし悲しい